自分を変えた原点

CASE
実績

  • 参加者事例
  • 聖光学院中学・高等学校 鷲見将太郎さん

自分を変えた原点

INTRODUCTION記事紹介

中学3年生の夏にボストン研修に参加してくれた鷲見くん。チームでアイデア創造に取り組み現地の起業家への発表に挑戦しました。そのボストン研修をきっかけに、考えや行動が変わり、ボストン研修だけでなく、その後に起業家養成の連続講座であるトーキョードカンにも大人に混じりながら参加をし、足腰を鍛え沢山のことに挑戦をしています。そんな彼がどんな課題に直面し、乗り越え、1人の人間として成長をしてきたのか。その軌跡を、たっぷりとお伺いしました!

PROGRAMS
プログラム

2019年
複数校合同アントレプレナーシップ海外研修@アメリカ(ボストン)

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チームで世の中にインパクトを与える問題解決に取組む、約2週間に及ぶプログラムです。 海外大学寮で暮らしながら、最先端で活躍する人々と出会いながら、異国の地でのアイデア創造に挑戦します。

2019年
東京都主催アントレプレナーシップ連続講座TOKYO-DOCAN(トーキョードカン)

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世の中にドカンとインパクトをもたらす起業家の「たまご」のための連続講座です。選考を通過した中高生から大人までが参加しており、実際にたくさんの起業家を輩出している講座です。

タクトピアとの最初の出会いは中学3年の夏に参加してくれた、アメリカのボストンでの複数校合同アントレプレナーシップ海外研修でしたね。そもそもなぜその研修に参加しようと思ったのでしょうか?

僕の学校は中学3年生の夏に、学校からいくつかの海外研修が紹介され、希望者は参加することができるんです。僕自身は、それまで海外にはいったことがなかったのですが、小さい頃から経済や起業にちょっと興味があったのと、タクトピアの研修は参加の人数制限があったので「参加したい!」と逆に燃えちゃいました。


経済・起業に興味を持つ人ってそんなに多くないかなと思ったけど、どういうきっかけで興味をもったのでしょうか?

経済・起業に興味を持ったのは、サラリーマンにはなりたくないと漠然と考えていたからです。誰かに使われたり、命令されたりするのが嫌いなので、サラリーマンだと生きていけないと思ったんですよね。他に、医者や政治家も検討しましたが、血を見るのが怖かったので医者にもなれない、政治家にはそんなに興味を持てなくって。それで、世界でも活躍できそうな起業に興味を思ったんです。なので、特になにかあったわけではなく。


他に学校から紹介された海外研修は検討しなかったのでしょうか?

他には、カナダのホームステイと、セブ島のフィリピンもあったのですが、その当時は人と話すのが苦手で。それで、カナダのホームステイは無理だと思いました。フィリピンでは缶詰になって英語を勉強すると聞いて、「それは海外ですることなのか?」と思い、先生や親に進められたわけではないのですが、元々の興味からボストン研修を選びました。ボストンの研修に参加すると親に言った時は、「決めたならいいよ。」といって行かせてくれました。


実際にボストン研修に行ってみてどうでしたか?例えば最初に空港に集合した時はどうでしたか?

ボストンの空港についた時から、「2週間は一瞬だな」と感じていました。自分の学校だけでなく、他の学校から生徒もいましたが、人と話すのが苦手だったので、自分の学校の生徒だけでいいのにと実は思っていました。男子校だったので、他校の女子の生徒とは話せなかったですし。今でも同世代の女子とはうまく話せません・・・。空港から寮について自己紹介タイムがあったんですが、自己紹介ではずっともじもじしていました。一応、2人は自己紹介で話せたんですが、両方とも他校の子で、男子は自分から話せましたが、女子は向こうから話しかけてくれました。今思い返せば他校生に話しかけることはそんなに勇気はいらないですが、その時は本当に戦場に向かうような覚悟で。「何があるかわからない!」と思って話しかけにいきました。頑張りました。今思えば、絶対に他校の生徒がいたほうがいいですね。


ボストン研修での他校生との交流も刺激的だったと思いますが、それ以外のプログラムはどうだったでしょうか?プログラムの初期は、タフツ大学の大学生からプログラミングなどを活用したものづくりのワークショップを受けたりしましたね。

タフツ大学のワークショップでは、子どもの時を思い出して、作るときの楽しさを思い出しました。レゴとかプログラミングをしたり。楽しかったですね。ほとんどペアワークだったので、その時ぐらいからコミュ障が改善しはじめました(笑)。いや、ボストン行かなかったらずっとコミュ障でしたよ。ワークショップでは何かを作る度に全体の前で発表がありましたが、毎度めっちゃ緊張していて、声が小さいと言われました。ただ、まだこれが序の口なのでは・・・?と思っていましたね。「これでできないなら、本番はできない」と感じていました。


沢山の挑戦機会がありましたからね。実際にその他の課題やプログラムを受けていくうえで、これはヘビーだなと思った課題はありましたか?

プログラムの中盤の中間発表で取り組んだCMづくりは、作った後に後悔をしました。自分達の発表が終わってみると、周りのチームはもっとすごいのを作っていて、「自分達は課題をなめすぎていたのでは?」と思いました。自分たちのチームは、3人のチームでした。チーム組みをプログラムの序盤に行いましたが、チーム組みを行う前には「誰が何をしたいらしいよ」と噂が流れていて、他の人とも何をしたいのかを色々話していましたが、チーム組みがうまく行かなかったんです。チームを上手く組めなかった残った3人でチームを組んだんです。それぞれが元々違うことをやりたかったので、チームで取り組む問題やターゲットを決める時、自分達で決められず結局周りの人にどの案がいいか意見を求めていました。他の人に聞かないで、自分達でちゃんと決めればよかったです。


そうでしたね。途中でチームの1人がご家庭のご都合で抜けてしまい、2人で取り組むことになりましたが、2人でのチームはどうでしたか?

2人チームになってからは、実は自分が知らないうちに棘のある言葉を言っていて、それを抜けた1人が吸収してくれていたことに気づき、仲間の存在のありがたさを感じました。自分は人の意見を聞こうとしてなかったことに気付いて・・・。自分が正しいと思っていました。気付いたのは、チームを途中で解散すると決め、結果1人になってから気付きました。2人でグループワークをしていたら、相手の女子メンバーが怒り始めて、何が起きたかもわからないし、更にその子が泣きはじめてもよくわからなかったです。自分に非があるとも思ってなく。その子がどこかに行ってしまって、しばらく戻ってこなくて。周りの人から「お前がいけない」って言われて、自分がなぜいけないかを考えていました。周りにそれだけ言われるのは「自分に何かあるのかな?」と考えましたね。自分で考えても思い当たることもなく、でも自分に何かありそうだなって思いました。そしたら、サングラスをかけて帰ってきた女子メンバー(泣きはらした目を隠すためにサングラスをかけていた)から、言われたことは全て覚えてないですけど「自分の意見押し付けすぎ!!」って言われて。それで、気付いたのかもしれないです。お互いにサングラスを掛け合って、今振り返れば、言われた言葉に混乱していました。離れ離れでやるとなって、最初は「1人で上等だ!」って思っていましたね。こっちも怒っていたので。でも解散した後、女子メンバーのほうには他の皆が手伝いに行くが、自分のほうには誰も手伝いに来てくれないので大変でした。その時に、ゆうさん(タクトピア代表)が来てくれて、助かりました。「今は1人で大丈夫かもしれないけど、ラストスパートは大変だぞ」って言われましたね。ちょっとは励ましてくれたかな。「1人でも頑張ってね」と言われました。


チームの解散は大きな気づきを得る機会になったんですね。1人になってからはどのように進めていましたか?

チームが解散したその日の晩、寝る前はやる気に満ち溢れて「もう俺はやりたいようにやれる!」って思っていましたね。チームでやっていた時は窮屈だったので。1人でやりはじめて、プレゼンの準備作業を分担も出来ないので、1人でも頑張れなきゃと思っていました。アイデアを考えるためにインタビューをする必要があって、自分の周囲にいるターゲット(社会人)と似た属性の人がお父さんしかいなくて、お父さんにだけインタビューをしたのですがそれが失敗でした。お父さん1人にしかインタビューしていないのに、その内容を全部鵜呑みにしていたんですよね。1人の意見だけを聞くのはおかしいと今は思っていて。その時1人の意見しか聞かなかったから、失敗したんだろうなと今は感じています。その後日本でトーキョードカンのプログラムに参加して、2回目のアントレプレナーシップのプログラムで発見することが沢山あって。インタビューもその1つで、インタビューの大切さを感じましたね。人はみんな変人で、個性があって、だから自分の主観だけでこうだって決めるのはおかしいんだなと色んな人にインタビューをしてから感じました。まあ、ボストン研修の最中は全然失敗だとは思ってなくて(笑)、最後のプレゼンで1位じゃなかったんですが、なんで1位じゃないんだって思っていました。


最終プレゼンが終わった後に感じていたことはありますか?すごい沈んでいましたよね。

そうですね。チームやっている他の人は楽しそうにやっていたのに、自分はそんなに楽しくなくて。「チームって大事なのかな・・・自分は1人で楽しんでなかったのかな?」と思いました。他のチームのプレゼンを見て、色んな案があって。他のチームの案でも、一番最初はどんな案だったかを知っていたので、最終プレゼンでのアイデアの変貌に驚いて。チームで色んな案を出し合ったからだなと。発表した時は1位だって思っていましたが、今考えると迷路にはまっていましたね。自分は当初の案のビジネスパーソン向けのアイデアから離れられなかったです。


なるほど。改めて振り返るとボストン研修では何を学びましたか?

チームの大切さを感じたボストン研修でした。今でもその学びはいきています。チームがいつでも大切なのではなく、ある時は1人で行動しなきゃいけないし、ある時はチームで行動しなきゃいけない、使い分けなきゃいけないと思っています。あと、今はチームを組むとき、仲いい人とはあまり組まないようにしていますね。


2番目の学びは、色んな人の講演をメモしながら聞くようになりました。色んな人の話を聞くことが楽しいなと思って。ボストン研修に参加するまでは話すことが好きだったんですが、聞くのが好きになりました。ボストン研修でインド人の社会起業家の方の話を聞いて、自分の住んでいる世界は小さいなと感じたんです。井の中の蛙だと思いました。ニュースで知るのとは違って、色んな起業家の人にも1人1人の人生があって、その話を聞いていくことで、少しでもその人達に近づけるのはと思っていて、そういうことを知らないのが損な気がしていて、もっと早く知らないともっと早く活かせないなって思っています。ボストンから帰ってから講演会に行くのが好きになって、他にも学校で現代社会家庭科という授業で色んな人が講演に来てくれるので、質問を必ずするようにしています。


そんな学びが多くあったボストン研修ですが、その帰国後にその年の秋に開催された起業家養成の連続講座トーキョードカンにも参加してくれましたね。なぜ参加したのでしょうか?

ゆうさん(タクトピア代表)がボストン研修のグループLINEにトーキョードカンがあるよって流してくれて、直感的に参加したいと思いました。講演会に参加するのが好きになっていたので、トーキョードカンに行けば色んな社会人の話が聞けると思って。なので、また新しいアイデアを創造したいというより、社会人の人と交流したいというほうが強かったですね。その当時はTwitterやFacebookもやってなかったので、大人の人と繋がれるのはトーキョードカンぐらいで。日常生活では先生や親以外の大人とは会えないんですよね。


実際にトーキョードカンに参加してみてどうでしたか?

入ってみると大人しかいなくて。学生が僕以外に2人だけいて、ちょっといてよかったです。本当に大人ばっかりだったので、ついていくので精一杯でした。毎回すごく緊張して、毎週日曜の講座がくるのが怖かったですね。でも、テスト中でもちゃんと行きましたよ。課題のインタビューも大変でした。トーキョードカンでは、自分の日常生活では周りに学生の友達が沢山いたので、学生目線のプロダクトを作ろうかなと思ってインタビューをしたけど、周りの友達は何をやっているのか理解をしてくれなくて。「お前なにやってんだ。」という圧力がありました。でも仲良い人、特にボストン研修に行ったメンバーはインタビュー受けてちゃんとわかってくれました。ボストン以外の研修地に行った人や他の人は全然わかってくれなくて、僕はヤバい人みたいになってましたね。


続けるのは大変だったんじゃないですか?

なんとかついていこう、最後まではやりきりたいと思っていました。プログラム最初はインタビューの大切をまだわかってなくて、インタビューの詳しいやり方のプログラムを受けて、やってみたらその大切さがわかるのかなと感じて、インタビューは最低限はやっていました。実際に自分がプロダクトを作ってインタビューしても、ほぼ全員にダメって言われるんですよね。それでどんどん色々やっていく中で、良いって言ってくれる人が増えていって、インタビューとかでちゃんと聞くのは大事だと思いました。


なるほど、トーキョードカンに参加して良かったですか?

トーキョードカンに参加して思ったことは、自分は全然知らないんだなって思いました。あと、偏差値とかで物事を考えていたんだけど、学力では無いんだなって思いました。その時は勉強以外のことはやってなくて、勉強だけじゃなくて勉強以外のことをも大事なんだなって思いました。というのも、トーキョードカンに参加していた1つ年上の学生の人が、大人との会話についていっていて。僕は大人と話しても、知らない単語ばかりで全然ついていけなかったんです。その時に自分は新聞を見ていないとか、いつも友達としか話していないなとか、そういう差なのかなって思いました。1つ年下の学生の人もちゃんと大人との会話についていっていて、自分は幼いんだなって思いました。


すごく衝撃だったんですね。ボストン研修にトーキョードカンに怒涛の勢いで参加してくれましたが、自分の中で変化はありましたか?

考え方は結構変わって、一言で言えないぐらい沢山変わって。自分の行動で一番変わったと思うのは、ボストン研修の前は課外活動に行かなきゃいけないって思っていて、気持ちは全然乗ってなくて、結局面倒くさくなって行かなかったりして。でもボストン研修の後は、自分で行きたいって思うようになって、自分で色々調べるようになりました。自分が井の中の蛙だと気付いたことが大きくて、もっと世界のことを知りたいと思うようになって、色んなイベントに参加して色んな人の話を聞くようになりました。勉強は基からちゃんと頑張っていたので、そこまで変化はなかったですね(笑)。


自分の進路やキャリアへのイメージは変わりましたか?

めっちゃ変わりましたね。それまでは、海外大学はすごそうだなーって思っていて。なので、自分は東大を目指したほうが良いのかなって思っていたけど、海外大学が身近になって。最近自分でnoteを書き始めて、noteで色々書くと寧々さん(タクトピア共同創業者)がコメントくれたり、ダイレクトメッセージでオーストラリアにいる人から「自分はオーストラリアにいますが、知りたいことがあれば言ってください」とメッセージを貰ったりして。そういう自分の考えていることを周りに言うことが大事だなって思いました。情報が集まりやすいなって。noteを書き始めたのは、学校の授業のゲストできた人noteを勧めてくれたんです。本当は3日1回の予定でnoteを始めたんですが、楽しくなって毎日今投稿をしていて。もっと自分のことを伝えたいと思って。あと、友達も投稿していたので、友達に勝ちたいなって思ったのもあります(笑)。


今後の展望ややりたいことはありますか?

やっぱ海外大学への進学にむけては、海外大学の受験で必要なエッセイに課外活動を書くのが大事だと思うので、ビジネス系であればビジコンやキャリア甲子園に出たり、学校の探究の授業で研究を頑張りたいと思っています。


改めてプログラムに参加した怒涛の中学3年の1年間はどうでしたか? 漢字一文字に表すなら?

ボストン研修に行ってなかったら、何もやってなかったですね。夏にボストンに行った後に、秋にはトーキョードカンに参加して、冬は学校からの案内でシンガポール研修にも行ったんです。中3の1年を漢字に表すなら、やっぱ、原点の「原」じゃないですかね?やっぱりそこからはじまったというのをずっと思っているので。中1から中3のボストン研修までの期間と、中3から今(高1の夏)までの濃さが全然違って、中3から今のほうが長いんじゃないかなって思っています。


鷲見くん、ありがとうございました! とってもシャイで、でも「こうしたい」という気持ちは人一倍強い鷲見くんが、どんどん新しいことに挑戦して成長していく姿は圧巻です。 好奇心が赴くままに、さらに新しい景色を見るために走っていく鷲見くんをこれからも応援しています!